札幌南青洲病院 看護部

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札幌南青洲病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

病院内に社会の風が吹き抜ける〜ボランティアせらの活動〜(上)

当院には「せら」という名前のボランティアグループが活動しています。

2003年に前野理事長(当時は院長)が緩和ケア病棟を開設し、その後せらが結成されました。せらという名前は、「ケ・セラ・セラ」のセラ、「セラピー」のセラ、そして「せせらぎ」のせらから由来しています。結成当初のお茶会には淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生がお越し下さって、ずいぶん勇気づけられたと伺っています。
せらの活動は、緩和ケア病棟で開かれるお茶会や、イベントのお手伝い、季節の飾りつけ、縫い物など、現在に至るまで続いています。季節の飾りつけは、温かく全体のバランスも整ったアートとなっており、患者さんやご家族だけでなく職員も立ち止まって見入っています。

デイルームで毎週開かれるお茶会は、患者さんもご家族も楽しみにして下さっています。
フルートやピアノの生演奏を聴きながら、カフェのように好きな飲み物を注文できて、のんびり過ごすことができるのです。
医師や看護師らも同席して、楽しく語らいながらお茶を飲んでいると、病院にいることを忘れてしまいそうです。
ボランティアさんたちは、揃いのエプロンをつけ、注文を取りに来て、飲み物を作って優しい笑顔でテーブルに運んでくれます。


お部屋の入口には戸口飾りといって、手作りアクセサリーがぶら下がっています。
これらのことは、職員だけでは到底できることではありません。ボランティアさんたちが作り出す世界や空間は、社会の中で日常生活を送っていることを思い出させてくれるとともに、人の手のぬくもりややさしさが感じられて「ほっ」とするものです。

せら存続の危機

昨年私がこの病院に来た時、せらは存続の危機にありました。かつて10名以上いたメンバーは、年齢や体調、ご家族の介護など様々な事情で、7名ほどになっていました。そのうちお茶会に毎回来られる方は4名しかおらず、自分が休むと他の人が困るという理由で無理を押して来てくださっていました。来れるときに来て、楽しく活動するはずのボランティアがまるで義務のようになり、メンバーは皆疲れていました。5月までにさらに人数が減り、毎週行われていたお茶会の運営や季節の飾りつけが危うくなりました。

そこで、みなさんからいろいろお話を聞き、方向性を幹部で話し合いました。

病院側の対応にも反省すべきところが多々ありました。自律して活動しているせらの皆さんに頼り切って、コミュニケーションが不足していたのがその原因でした。
過去を省みて、これからのボランティア活動について、どんな方針をもって進めていくのか見直すチャンスでもありました。
せらの活動は、私たちの病院にとってなくてはならないものです。病気と闘う患者さんとご家族が、ほんのひとときでも病気を忘れ、社会の空気を感じることが、今を生きていく上でとても大事なことなのです。
ですから病院側とせらとの間をつなぎ、対話する仕組みをつくること、新たなメンバーを募集し、ゆとりを持って活動できるようにするのが急務でした。

ボランティア・コーディネーターの誕生

組織の基盤を作るためにコーディネーターという役割をもった人を作ることにしました。
病院のこともわかっていて、新たなボランティアさんたちに院内のことや活動を説明し、一緒に動いてくれる人。親切で明るく、楽しい人。ボランティアさん一人一人の得意なことを引き出して、活動に結び付けてくれる人。
こんな条件のそろった人、めったにいないものですが、幸運なことに私たちの仲間に、その人はいたのです。
その人、鈴木さんは仕事をしながら何年もかけて「英国式リフレクソロジー」を学び、自らボランティアとして活動しようとしていた人でした。
http://minamiseishu.com/nurse/voice/

(つづく)

「あなたはがんです」と診断を受けたら

病院のFBにもUPしたのですが、ちゃんとまとめておきたくなりました。
1月27日(金) 豊洲市場前に建つ マギーズ東京に行って来ました。

マギーズ東京という所、一言で説明すると、がんに関するあらゆる相談窓口です。

自分や家族ががんと診断を受けた時、誰しも頭が真っ白になり、治療法のこと、仕事のこと、家族のことなど様々な心配不安が沸き起こってきます。病気のことは医師や看護師に訊くことはできても、お金のことや家族のことなどは相談しにくいものだと思います。
看護師の私だって、そのときどんな反応をするか自分では予測がつきません。病気の知識があっても自分事となるときっと迷い悩むだろうと思うし、お金のことなどは、相談する相手をだれにしようか悩むだろうと思います。

家に帰って一人になった時に、様々な感情と共に疑問や不安が思い浮かぶ。その時に気軽に相談できる場所がないという発想で、マギーズは出来ました。

詳しくはhttp://maggiestokyo.org/

相談するのは患者本人でも家族でも友人でもいい。

相談を聴いてくれるのはがんの専門看護師や臨床心理士などの専門家。予約はないので待つこともあるけれど、待ち人同士がお互いの話をして、偶然同じ病気や似た体験をしたことから急速に親しくなることもあるそうです。正しい情報を取り入れるというだけではなく、気持ちを聞きあい心を穏やかにし、問題を整理して自分らしい意思決定を支援してくれる場所、そんな場所なのです。

相談するのは患者さんだけではなく、ご家族や友人ということもあり、その立場や病状の度合いは問いません。
いちばん身近な家族だからこそ、逆に言いにくい、話し合えないということもあります。直接治療に当たる医療者にはセカンドオピニオンを切り出しにくい、ということもあるでしょう。こんな時は、距離の遠い第三者が良い、という場合があります。

マグカップにたっぷりのお茶とお菓子をふるまわれて、テラスのベンチや室内のゆったりしたソファに座れば、くつろいだ気分でお話ができそうです。

建物は大きなガラス窓と木のぬくもりを感じる作りで、自然の光がたっぷり入って温かです。奥に広めのキッチンがあり、何か身体に良いものも作れそう。広めのベンチは小さな子供の遊び場にしたり、少し横になって休みたい方のベッドにもなります。

どの場所も、ちょっとした優しさが感じられます。そしてなんと相談は無料なのです。

夢を叶えるには・・・呟くんですよ(^_^)

創設者の秋山正子先生は全国に「暮らしの保健室」を作られて、地域の方々に健康に関する情報提供や相談業務を広めて来られました。
東京だけじゃなくて、全国にマギーズ・センターがあったらいいですよね。
本当は私たち医療者が日常的に相談業務にもっと時間をさければいいのだけど、もっと敷居が低くて、「こんなこと相談してもいいですか?」という言葉に「大丈夫!なんでも言ってみてください」と言える場所があればいいなあと思います。

マギーズを設立するのにも色々な困難があったのではないかと思いますが、「やろうと思ったら、黙ってたらダメ。呟くんですよ。」と茶目っ気たっぷりにおっしゃいました。想いをつぶやくことで誰かが応援してくれる、そして夢の実現に繋がると、私は受け取りました。

そして頭の中に新病院と共に、いろんなアイデアのタネがフワッと浮かびました。

がんの相談だけでなく、介護や認知症のご家族の相談、合間にマッサージやリフレクソロジーを受けられて、独り暮らしの高齢者の食堂を作って、ちょっとしたコミュニティになって、たまに音楽やアートのワークショップ・・・いつもの妄想ワールド・・(^_^)

帰りがけにもう一度、先生から「呟くんですよ。」とささやかれました。
これはもう、神の啓示に近いんじゃないかと思いますがどうでしょう?

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます😊
やっぱり世のため人のため、愛ある活動はそれだけで応援したくなるものですね。

 

 

ご家族が認知症かも・・というときご相談ください

先日グループ病院の看護・介護部門の看護研究発表会が行われました。
新しい知識を学ぶとか、何か共通する物事を話し合うというときに、全国グループのスケールメリットを感じます。
当院からは外来の研究「認知症患者・家族との関わりについて考える」というテーマで発表がありました。

ふくじゅそう外来とは

当院には「ふくじゅそう外来」という風変わりな名前の外来があります。
認知症患者さんとそのご家族のための外来なのですが、認知症の方が「私は認知症じゃないかと思う。だから認知症を診てくれる病院にかかろう」と思うのはまれなことで、ほとんどの場合一緒に暮らしているご家族が異変に気づいて、どこに相談しようかと考えられます。

受診(病院で診察を受けること)することを決心したとして、「認知症の外来に行きますよ」というのはあまりにも直接的すぎて、「私は認知症なんかじゃない!なんてことを言うんだ!」と言われかねません。
それほどに認知症に関してはデリケートな側面があるため「もの忘れ外来」というようなネーミングをつけている病院がほとんどです。

当院でも抵抗感が少なく来られるよう「ふくじゅそう外来」という名前にしています。
ふくじゅそう外来ではコウノメソッドを取り入れ、「介護者保護主義」をコンセプトとし、共に暮らす介護者の負担軽減を重要な視点にしています。
認知症が進行すると単なるもの忘れにとどまらず、徘徊、火の不始末、もの盗られ妄想、暴力、異食(食べ物ではないものを食べる)、介護拒否などが起こることがあります。(個人差があります)
症状がひどくなるほど、介護者は対応に悩み苦しみ、周囲からの理解やサポートを必要としています。

介護者の関わりの変化で負担も軽減していく

認知症は残念ながら、現在のところ特効薬はありません。

「また忘れてる」「どうしてこんなこともできないの?」など、衰えて変化していく家族を理解できず、ついつらく当たってしまったりして、そのことに自己嫌悪を感じ介護者=家族の苦悩はどんどん深まっていきます。

しかし介護者が「大変だ」と感じていた症状は、薬の調整や関わり方のコツを知って対応すれば、落ち着いて過ごすことができるようになっていきます。それは結果的に介護者自身の心境の変化にもつながっていきます。

介護者自身が「負担だ」「どうしてこうなったの」「イライラする」など悲嘆や負の感情を抱いているより、「そういう病気だからしょうがない」と受け止め、「これはできなくなった、でもこんなことはできる」と、いい面に目を向けることによって、患者さんも安定していくのです。
外来の研究発表は「介護者の負担軽減の役に立ちたい」というコトバで締めくくられました。少しでも認知症の患者さんとご家族の力になれたら幸いです。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。

ふくじゅそう外来に関する情報は

ふれあい平成26年3月20日号
ふれあい平成27年1月1日号
をご覧ください。

旅立つ場面に家族がそばにいられること

  • 私が看護学生のころの話です。
    「私はね、自分や自分の親ががんで死ぬとしたら、自分の子供たちに死ぬ瞬間立ち合わせてやりたいと思っている」と看護教員のT先生が話をされました。
    「臨床現場では、死ぬ瞬間救命処置をするために家族は部屋から追い出されることが多い。でも、予期していて、避けられないものなら、無駄な処置はせずに家族でその場面にいたいと思っている。特に今の時代、愛する人の死ぬ場面は、たとえどんな小さな子供であっても、見せてやりたいと思うの。」というようなことをその先生はお話しされました。

もう、30年くらい前の話です。

その後私は急性期の病院に就職し、臨終の場面では心電図モニターや点滴・酸素などがフル装備されており、呼吸の補助や心臓マッサージなどの蘇生処置を精一杯することが当然だと教わってきました。
蘇生の間はご家族には病室から出て頂きます。場所も狭いですし、心臓マッサージや呼吸の補助など医療者が動きやすくするためでありますが、もう一方でご家族にとっては蘇生のシーンそのものがショッキングな出来事だからです。

一定時間蘇生をし続けても回復が望めないと判断したとき、ご家族に病室にお入りいただいてモニター画面を見て説明をする、臨終とはそのような流れでした。医療者としても無力感を感じる瞬間です。

死ぬ瞬間をどこでどう迎えるかは誰にもわからない

私の頭の隅にT先生の言葉は残っていました。
59歳で母ががんで亡くなったとき、偶然ですが私は子供たちを立ち合わせていました。
蒸し暑い土曜の午後、幼稚園から子供たちを連れて母のもとに来ていました。

ぎりぎりまで家にいて、「(蘇生など)よけいなことは一切してほしくない」という母でしたので、入院した翌日でしたが点滴一本すら入っていませんでした。苦痛を取るための注射を一本打ったあと、主治医が診察に来るのを待っている間にすうっと命が閉じました。

息を引き取って数分後、父と私がひとしきり泣いたあとで、それまでじいっと部屋の隅にいた4歳の娘がとことこと近づき、母の枕元にぴょこんと飛び乗り、黙って母の頭をやさしく撫でたのでした。

死というコトバも概念もわからない年でしたが、ごく自然に子供たちはそのことを、しかもあっさりと受け入れてしまったのでした。周りで慌てたり泣いたりしていた大人たちを尻目に、なんと堂々とした受け入れの対応かと、わが子ながら驚いたのを覚えています。

大きくなった娘は、そのことを自分の体験としては覚えていません。
けれど折に触れて私が話すので「もう何回も聞いた」とあきれながら、記憶として刷り込まれているようです。

旅立ちという言葉

「死」という言葉を私たちは「旅立ち」という言葉に置き換えて使っています。
生々しさを払しょくし、柔らかい表現にという意味合いもありますが、死は誰にも訪れることであるから、医療者としては苦痛なく穏やかにその時が迎えられるように援助をすることが前提で、次の場所へ旅立つイメージを持つことが大事だなと私は解釈しています。

旅立つ場面に寄り添えることもあれば、みんなが寝ている隙に静かに旅立つ人もいます。それは(静かに寝ている人を起こしたくない)という患者さんの配慮だったのですよ、ということもあります。どんなにその人を愛し、思っていても、旅立つ時は思い通りにいかないもので、必ず何か後悔や思いが残ってしまうものです。

でもそうして何度も何度も繰り返し思い出して、生きている人が話をするというのが、「いつまでも心の中に生きている」ということであって、次の世代の子供や孫につながっていくことだなあと思うのです。
あの日が休みの日じゃなかったら、夜だったら、きっとあの場には立ち会えなかった。
私や私の子供たちが母の旅立つ場面に立ち会えたことは、とても有り難いことで、母からのギフトだと思っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
いつかT先生に会ってこの話をしたいと思っています。

病院の窓から冬の日の朝焼け

どんなタイミングでホスピス緩和ケア外来にかかればいいのでしょうか?

ホスピス・緩和ケアというと、「死を待つだけの場所」「治る希望のない最期の場所」とまだ多くの方が考えられているようです。

確かにホスピスという場所は死を迎える場所ではあるのですが、限られた時間を愛する人とともに大事に過ごし、「最後までその人らしく生き切る場所」であると私たちは捉えています。

人の生きる時間には限りがあり、すべての人は100%死んでいきます。
これだけは「絶対」と言っていいことです。
がんという病気に体の大部分が占有されたり、がんの状態そのものが進んで生命を脅かす状態になって、手術や放射線や抗がん剤などの積極的治療や、代替療法などが効果を出せなくなったとき、主治医から「緩和ケアを紹介します」と言われると、見放されたように感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

戦って戦いぬいて、これ以上の方法はもうなくて、紹介されてこられる方もいらっしゃいます。
それから痛みや辛い症状を抱えていらっしゃる方もいらっしゃいます。
あるいは、まだ診断を受けて初期の段階で、緩和ケアというところがどんなところなのか知りたいという方もいらっしゃいます。

緩和ケアにかかったら、もう積極的治療は選べないの?

やっぱりまだ病気ととことん戦いたい。
そうしたいと思ったら、いつでも相談できますし、適切な病院へ紹介することもできます。
新たな治療法を試してみたい、それもその方の意思決定ですから、私たちは支援します。
そんなことを言ったら医師に失礼にあたるのではないか、と思う方もいますが心配は無用です。

いつ、緩和ケアにかかればいいの?

結論から言うと、どのタイミングが適切かはその方によります。
そしてその方がどんなふうにこれからの時間を過ごしていきたいか、にもよります。

ただ、早く知って損した、ということはないようです。
むしろ早く知りたかった、もっと早く来ていたら有意義な時間を過ごせたのに、とおっしゃる方はいらっしゃいます。

緩和ケアに来たらもう退院はできないかというとそうでもありません。
痛みや吐き気などの辛い症状が取れることによって、体力の消耗がなくなり、動けるようになっておうちに帰る方もいらっしゃいます。

まず誰に相談するの?

 

当院ではメディカル・ソーシャル・ワーカーが窓口になり、病気とどのように戦って来て、今はどうご理解されているか、これから先どうしたいのかを、まずは詳しくお聞きします。

病気以外にも心配されていることをひとつひとつひも解いて、整理するお手伝いをさせていただいてます。そして医師・緩和ケア認定看護師らと情報を共有して、緩和ケア外来の診察を予約して頂くことになります。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
まだまだコトバが足りなくて伝えきれませんが・・
死を考えることは、よりよい生を考えること、とわたしは考えています。

こんな朝礼やってます

あけましておめでとうございます。
札幌は穏やかな天気で年が明けました。

さて、今日は当院の日常風景をお伝えします。

よその病院では朝礼があるのでしょうか?
私たちの病院では朝8時半に、まずラジオ体操をしてから朝礼をしています。

真剣にやるとうっすら汗をかきます。

司会の人が挨拶したあと昨日の業務量を報告し、各部署からのお知らせなどをここで共有します。
新しい人が入ったらここで紹介したり、お別れする人もここで挨拶していきます。

そのあと3分間スピーチ。

年間でどの部署・どの職員が当たるかが決まっています。
基本的に何をしゃべってもいいことになっていて、趣味のことやおススメのお店のこと、最近ハマっていること、家族のこと、仕事で感じたことなど、さまざまです。
何を話題にするかにもその人なりの個性が出て興味深いです。

年末にはGさんがSMAP解散がどれほど口惜しいかについてアツく語ってくれましたし
年明けはSさんが「初夢はいつからいつまでに見た夢のことを言うか?」の豆知識をお話ししました。
Sさんは身近なことを調べてきて、データに基づいたお話をしてくれるので、いつもためになるのです。

 

出席している職員も真剣に聞き、スピーチが終わるとみんなから温かい拍手が送られて、ほっと一息です。

当院は「対等性」を大事にする文化があって、医師もその他の職員も、患者さんもご家族も対等であることが前提になっています。院長も「本当は院長って呼ばれるのは嫌なんだよね、でもそうはいかないよね」と言います。「先生、先生」と呼ばれて驕らないよう、ご自分のことを戒めているのと、医者になるまえにサラリーマン時代があったからと理解しています。だから私のことも「工藤さん」と呼んでくれます。
役職で呼ばれることは責任と自覚を促すことになりますが、一方ではよけいな鎧をまとうことにもなるなと改めて思いました。

あなたもわたしもただの人。
強みも弱みも持った普通の人。
それがスピーチの時の「何を言ってもいいんだよ」という雰囲気を生み出している気がします。

朝礼の最後には理念の唱和をします。

自分たちの理念がなんなのか、何を大事にしているかを毎日口にするのです。
暗記している人もいます。

私はこの基本方針の(4)と(5)が好きです。
暗記はしてませんが(笑)
こうして朝礼が終わり、職員はそれぞれの持ち場に帰っていきます。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今年も日常のこんな話をお届けしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

朝ドラ「べっぴんさん」に見るドラッカー

注!ネタバレありです。年末年始にまとめて見ようと思っている方ご注意ください。

私は「あまちゃん」の頃から、朝の連続ドラマを録画して夜見るのを楽しみにしています。
夕ご飯を食べながら、15分という時間が、ちょうどいい気分転換になっています。

「まれ」「マッサン」「あさがきた」「ととねえちゃん」。
どれも仕事での苦難と成功が物語の軸になっていて、主人公は好きなこと、得意なことを仕事にして突き進んでいきます。

物語の展開とともに、「強みを活かす」「意思決定」「貢献」「時間管理」「集中」「イノベーション」など、ピーター・ドラッカーのキーワードを思い浮かべて見るようになりました。

「べっぴんさん」の主人公、すみれの夫ノリオさんは戦争から戻ってきて「坂東営業部」(という名前の会社)の社長にならんとしていました。それはすみれの婿養子だったからで、好きとか得意とかいうことよりも、「そう決まっていたから」でした。

苦手なことを克服する?

子供のころからなにを考えているかわからず、口数が少なかったノリオさんですが、社長になるためには、人前でしゃべったり、接待では道化役をしたりということに慣れなきゃいけません。「坂東営業部」で実質的な経営者である、義姉の夫のキヨシさんから、社長になるために様々な役割を与えられます。

しかし人前でしゃべることが苦手なノリオさんは、大事な時に体調を壊したりして、どうにもうまくいきません。
ノリオさんはあまり人前に出ず、会社の中で黙々と経理の仕事をしている方が得意なのです。

一方キヨシさんは、ノリオさんを立てて、自分は参謀役になろうとしていたのですが、ノリオさんが思うようにいかないのを見ていて内心歯がゆく思っていました。

好きなこと、得意なことに集中する

上手くできないこと、好きではないことを克服しようと頑張ることは悪いことではありません。が、そこに時間をかけるよりも、得意なことや好きなことをした方が、楽しいし、成果も上がります。

ノリオさんは自分が社長という立場に不向きだと言うことを知っていました。
周りの人も薄々そう思っていましたが、養子だから、会社を継がなきゃならない、という時代だったのでしょう。
苦手克服の無理をすることで、緊張と圧迫に輪をかけました。

12月24日土曜日の放送でようやくノリオさんが勇気を出して、坂東営業部を辞めることになりました。ちょうど主人公すみれの会社で経理の人が必要だった、というあたりは都合がいいようにも思いますが、まあドラマですのでご愛嬌。
よい機会を得て、得意なことに集中する。
人の役に立ち、貢献する。
ノリオさんの人生が変わり始めます。

そしてキヨシさんはいよいよ自分の番がやってきた、というところでしょう。
これで気兼ねなく自分で会社の舵取りをできる。
こちらの商売もうまく行く予感がします。

強みを活かす

ドラッカーの本には様々な名言がありますが、中でも私はこのコトバが大好きです。
自分と人の強みを発見し、いいコト、いいトコロを探すことを続け、楽しく仕事ができる環境を作りたいと思います。

今年も一年お世話になりました。
皆様どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

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O画伯のウエルカムボードも当院の強みのひとつ

病院で行うグリーフ(悲嘆)ケア~大切なご家族を亡くした悲しみに寄り添うことについて~

当院では大切なご家族を亡くされたご遺族にお手紙をお送りし、「ひだまりの会」「こもれびの会」という遺族会・慰霊祭を催しています。

私も今年着任したばかりなのでいずれも初めて参加したのですが、きっとご遺族の方も「何をするんだろう」と思いながら病院に来られたと思います。
詳しくは院長ブログやひだまりブログにも書かれていますのでこちらをお読みいただくとして・・

http://minamiseishu.com/incho_blog/?p=1046

具体的には、病院の会議室を会場に、院長の挨拶とグリーフケアについてのお話を聞いていただき、そのあと黙とう・献花と続きます。フルートとピアノの生演奏が6曲ほど続いたあと終了となりました。その後茶話会を用意していましたので、十数名の方が職員と想い出を語り合うことができました。

11月に行われた慰霊祭「こもれびの会」に参加されたご家族の方々からアンケートが寄せられました。
私どもの開催した会合が、はたして心の安寧に役立ったのか、もっとよくするためにほかにできることはないか?とのご意見を頂戴するためのものでした。

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少し抜粋して紹介させていただくと・・
50名ほどの出席者の中で回答を寄せて頂いたのは30名弱、日時・場所・プログラムについてはおおむね「よかった」との回答をいただきました。

とくにフルートとピアノの生演奏については「心に沁みた」「音楽を通していろいろな思いが込み上げてきて涙が出た」「心が洗われるような演奏だった」という回答がたくさん寄せられました。

フルート奏者の方はご遺族でもあり、同じ立場でありながら音楽で人の心を癒そうとする様に、親密感と共にいたわる思いがひしひしと伝わってきました。音楽は言葉を尽くすよりもダイレクトに心に届くものですね。

悲しみの段階は人それぞれで、慰霊祭のご案内が送られてくることで悲しみを蘇らすことがあることを私たちは知っています。遺族会や慰霊祭は「行かなきゃならないもの」ではないので、来て下さった方たちは時間を作り、心構えをして、勇気を振り絞って来られたと考えて、私どもはお迎えしていました。

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「実は案内が来るたびに立ち直れず、時間が止まっているようでまだ深い悲しみに落ちていました。11/5勇気を出して参加してみてとてもよかったと思いました。なぜならアンケートを手にしても、落ち込みがなかった」と客観的に振り返ることが出来た方もいらっしゃいました。

「院長先生のお話にもあったように、悲しみやさびしさ、怒りの気持ちがありました。時間の経過とともに寂しさ、懐かしさ、後悔などいろいろな感情がわいてきます。でも慰霊祭に参加して、自分一人が経験しているわけじゃない、医療スタッフの方も亡くなった人のことを忘れたわけではないとわかってよかったです。参加者が心ひとつになって慰霊の気持ちを持つ時を共有できてとてもよかったです」

「病院で慰霊祭というのは普通のことなのか?初めてのことでわからなかったのですが、今回遺族という立場で思うことは死にゆく人に対してどういう心構えが必要なのか、遺されたものがどう受け止めたらいいのかをもっと知っておくべきだったと思いますし、学べたらいいなと思いました。院長先生のお話「グリーフの段階」は自分を客観視できてよかったです」

「仕事中の看護師さんが、白衣姿で献花に参加してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです」

「慰霊祭で心に一区切りがつきました。前へ進むことができそうです」

 

など、さまざまなご意見をいただきました。
今年の札幌は異例の早い雪で、11月5日もべちゃべちゃの雨雪の日でした。
荒天にもかかわらずおいで下さった皆様、そしてアンケートをお寄せ下さりありがとうございました。
職員みんなで共有し、ご意見を参考にしていこうと思います。

 

畑にまつわるSTORY

この春から、私がお世話になった方に病院の玄関前の花壇のプロデュースをお願いしました。
なでしこ、マリーゴールド、カサブランカ、バラに朝顔、ダリア・・春から秋まで次々に花が咲くような仕掛けになっていて、飽きることがありません。
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欲が出て、病院脇の植え込みもきれいに整えて土を入れ、小さな菜園を作りました。
ししとう、ピーマン、ミニトマトなどを一株ずつ植えて野菜もたくさん収穫できました。

おかげで花壇や菜園を毎日楽しみにしてくださる方が増えました。
草取りなどをしていると、患者さんもご家族の方も、よく声をかけてくださいます。

「今は闘病中だけど、以前は家でたくさん野菜を作っていたんだ。キュウリやトマトがたくさんなって、近所に配って歩いたもんだよ」
「バラはよく観察して、虫や病気に気を付けるんだよ」
経験をもった方の一家言は学びになります。
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夏の終わりの昼下がり、一人のナースがじいっと花壇をみつめて言いました。
「部長がよく話しているのは、この花壇のことだったんですね。いつも出勤の時に通るのに、私はよく見もしないで通り過ぎてました。」
「そう、今は朝顔が見ごろだよ。ときどき立ち止まってみてごらん」
そんな会話をしました。
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彼女はしばらくの間、佇んでじっと花壇を見入っていました。
そしてこんな話を聞かせてくれました。

「○さんは毎日ミニトマトのところに車いすでお散歩に行ってました。日課だったんです。ある日のお食事にトマトがついてて、それがこの菜園で採れたものだと知って、○さん、お膳を見た瞬間号泣していました。笑い泣きしてトマトを食べたんです。毎日トマトの成長を楽しみにしていたけど、まさかご自分の食卓に載るとは思っていらっしゃらなかったんでしょうね。とても感激していらっしゃいました。」

生命の火を燃やし続けながら、野菜の成長と収穫を喜んでくださった○さん。
そしてそのことを私に伝えてくれるナースの感性。
そのナースはひととき、○さんの目になって菜園を眺め、そこで○さんは一体何を見て感じていたのだろうと、追体験しているかのようでした。
ありきたりなコトバでは表現しきれない思いがそのナースからにじみ出ていました。
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花も野菜も素人で、教えていただきながらの1年でした。
水や肥料、草むしり。日々観察し必要な手入れをするのは人を育てることにも通じ、ケアそのものでもありました。
一緒に活動してくれた仲間と、先日「畑の反省会」をランチョン会議で行いました。

患者さん・ご家族・職員同士のさまざまなコミュニケーションが生まれました。
野菜を収穫し、みんなで分け合っていただく喜びも感じました。
花や野菜を育てる、という新しい知識への喜びもありました。
単純に「花壇で患者さんに和んでもらえたら」という動機が、大きな成果につながりました。
ドラッカーの言葉で言うと「予期せぬ成功」の畑でした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
来年も楽しく畑、やります♫

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来年は、イチゴがなります♫

どんな手帳を使っていますか?

暮れの声を聴くころ、手帳のセミナーに行くことにしています。
きっかけは2年前、ドラッカーを学ぶ仲間から教えてもらいました。
そのころ私は手帳を使わず、スケジュール管理はYAHOOカレンダーで足りていました。

どこでも入力できるので重宝していました。のですが。

仲間から教わった手帳は「マンダラ手帳」http://www.myhou.co.jp/というもので、スケジュール管理もあるけれど、人生をどのように生きるか、を考える手帳だと言われて興味をもちました。
初心者は誰かに使い方をナビゲートしてもらった方がいいと言われ、それでセミナーに出かけることにしました。

そこではいくつかの質問を投げかけられました。

まずウィッシュリストを書く。なんでもいい。来年やりたい、と思っていることをとにかく思いつくままに書き出す。
どんな小さなことでもいい。3㌔痩せるとか、旅行に行くとか。月に一度外食をするとか。

たしか100行くらいあって、私は20個くらいしか書けないのに、周りの人は50も60もすらすらと書いていたように見えました。
そのあと、書いたウィッシュリストを8つに分類して蛍光ペンで色を塗ります。
分類は、「健康」「仕事」「お金」「家族」「社会」「人格」「学習」「遊び」の8項目になっていて、それぞれに自分で色を決めて下さいと先生に言われました。

「健康」は緑のイメージ。

「仕事」は気持ちがアガルようにピンクだな。

「お金」はいつもピーピーだから赤。

こんな感じで色を決めました。そして自分のウィッシュリストを1行ずつ分類していきました。
塗りながら気づきました。
私、ほぼピンク(仕事)の項目しかない・・・。

 

そのころはすべてが仕事中心でした。家に帰っても休みの日も。
週末は常に仕事を持ち帰り、何もしないまままた資料を職場に月曜日戻し、休んだ気もしないまま疲労だけが折り重なっていました。自分自身のセルフマネジメントがさっぱりできてなかったし、休みの日もON/OFFの切り替えができていませんでした。

 

手帳にはそのウィッシュリストを月に分けて実践行動として書き入れていきます。
月を書いたら今度は週の行動計画に落とし込みます。
計画通りに実行できたらチェックを入れます。実行したけどまだ終了していないものは翌週の計画に入れます。

毎週曜日を決めて、今週一週間のフィードバックと、翌週の行動計画を立てることを習慣化します。
私の場合大体日曜日の午後にカフェにこもってこの作業をします。

これがマンダラ手帳のだいたいのあらましです。

 

先生から月間の計画を立てるときに、

「今は仕事のことで一杯でも、月に一度でも「遊び」を意識的にいれましょう」
「8項目の色が必ず月のどこかに入っているようにしましょう」

と言われました。

そのころは「遊び」=オレンジ色 はほとんどなかったのですが、徐々に意識して「コンサートに行く」と書き入れました。書いて、オレンジ色を塗ると、それは楽しみな出来事としてインプットされるので、その日までにこの仕事を終わらせよう、とか、このときはすべてを忘れてうんと楽しもう、とか気構えが変わってくるのです。

それまでは「○○さんと食事」と書いても、それはその時間食事をする、ということの意味しかなかったのだけれど、オレンジ色を塗ることで「○○さんと会ってご飯を食べよう。どこで食べよう。何を話そう」と考えることが、とても楽しみになりました。

 

今年3年目になるその手帳に、今、来年の計画を書き出しています。
なんというか、今のウィッシュリストは感覚的にオレンジ(遊び)の方が多いかも知れません。
オレンジ(遊び)をたくさんするためにピンク(仕事)をしっかりやるよ、という気持で働いています。
というか、仕事も遊びもいっしょくたな感じかも知れません。

 

余白には気づいたこと、誰かが言ったいい言葉、胸が熱くなるような出来事を、なるべくすぐ書き留めることにしています。

自分に合ったいい手帳を使い、実践行動に移す、行動した結果をフィードバックすることは、時間管理になります。
私は「マンダラ手帳」を使うようになって3年、まだまだ修正の余地がたくさんあるけれど、人生の豊かさや密度の濃さは全然以前とは違うと感じています。いろいろな角度から人生を眺め、計画する思考が身に付くと、手帳の形にこだわらないような気もします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今年もあともう少しですね。

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右が来年の手帳。赤にしてみました。

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