札幌南青洲病院 看護部

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札幌南青洲病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

私の終末期はこうしてほしい~医療事前指示書について

7月15日北星学園大学で開催された、日本在宅ケア学会学術集会の市民講座に行ってきました。
尊敬するスーディ神崎和代先生(いわき明星大学教授)が「最期まで安心して暮らすための在宅ケア」という題名で講演し、先生の書かれた「医療事前指示書」について書き方を解説されるというので、楽しみにして行きました。

「終活」とか「エンディング・ノート」など、人生の終い方についての本やイベントが流行しています。
遺言書やエンディングノートはいわば「亡くなってからの」指示書ですが、この医療事前指示書はもっとその前の段階での指示書になります。
実を言うと私も32歳の時からいわゆる「遺言書」を毎年書いていました(^^ゞ
ま、その話は別の機会にするとして。

「医療事前指示書」とは、何らかの理由で自分で自分自身の医療に関する意思決定ができない事態に備えて、あらかじめそれを文書にして書き記し、書いたことを誰かに知らせて託すことまで、を指すものです。

私たちは事故や病気などで急に重篤な状態に陥ったり、あるいは徐々に進行する認知症のために、自らの治療について「こうしてください」とか「不必要な延命治療は要りません」という意思を、人に言えなくなることがあります。
そのとき医療者はご家族の方に「(このあとの治療を)どうしますか?」と尋ねることになります。
命に係わる重要な意思決定を迫られたご家族は、迷い、悩まれます。
生きて、元の姿に戻ってほしいと願い、意思決定をされるのです。

今はインターネットで様々な医療の情報を得ることが出来るようになりましたので、患者さんの選択の幅も広がりました。
人工呼吸器や胃瘻の装着、過剰な医療の拒否についても、あらかじめご本人が意思決定されたものとわかるなら、ご家族も迷いなく選択できるでしょう。

医療事前指示書にはもうひとつ、「医療委任状」という側面もあります。
「最期を迎えたい場所」について国民の55%が「自宅で死にたいと思っている」が、実際に自宅で亡くなる人約12%、病院で死亡する人75.2%という調査結果があります。(厚生労働省平成28年資料「在宅医療の現状」から)
つまり、実際には終末期を自宅で過ごしたいという希望はあっても伝えていない人、希望する在宅医療サービスがその地域で受けられない人、家族の介護負担などで思うとおりに行かない人などがたくさんいるということです。

病気や寿命をコントロールすることはむずかしいですが、回復の見込みがないとわかったときに、「自分はこうしてほしい」とあらかじめ書いた意思を表明し、伝え、尊重してもらうことは可能です。
そして内容についてご家族とよく話し合っておいて、書いた指示書をどこに保管したかを家族がわかっていることが大事です。
「お父さん、こう言っていたよね。そういえばあの棚の引き出しに入れておいたね」と言っていつでも取り出して見ることができれば、それはご本人に代わって家族が意思を尊重することにつながるのです。

 

医療事前指示書について
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b217333.html

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
この件についてはまた書きたいと思っています。

ホスピスの七夕会に想う

昨年の七夕会は流しそうめんをして、ずいぶん驚いたものだけど、今年はお祭りにするという。
まったくいろんなことを考えるよね、ホスピスのナースたち。
どんな内容かは当日のお楽しみ、私は一切口を出しません。

あ、今回は法被を買ってほしいと頼まれましたっけ。
来月の病院祭でも使えるし。
院長、ありがとうございます!(^^)!

ひと月ほど前から短冊飾りが用意されて、少しずつ準備がされていましたが、当日朝イチのラウンドで、ホスピスのデイルームが一気に様変わり。大きな文字が飾り付けられて、期待が高まります。
たこやき・わたあめ・かき氷・スイカ・ヨーヨー釣り。


段ボールで作ったくじ引きもあります。
きっと夜中に作ったんだネ。ごくろうさま。

音楽療法士のK先生が、ピアノを弾いて幕開けです。
研修医の先生や事務の実習生、それから釧路から見学に来てくれた看護師さんたちの力も借りて、皆がそれぞれの持ち場で最高のモノを作り、すてきな笑顔でおもてなしをしようとしています。
研修医の先生のコーヒーを運ぶ姿がやけにスマート!(カフェでアルバイトの経験があったとか)


ボランティアさんは、「今年のスイカの切り方を見てください!」と言います。
たしかに!進化系ですね。持ちやすくて楽しい!


しばらくして師長さんがピアノの前に座り、「上を向いて歩こう」を弾きはじめました。
「え?師長さんが?」とみんなが注目し、弾き終えた瞬間大きな拍手が沸きました。
狭い会場に集った患者さんやご家族、職員たちに一体感がふわっと立ち上った感じがしました。

 

ケアワーカーさんが他病棟の患者さんを連れてきてくれて、たこやきやかき氷を味わっていただきました。
手が硬縮している患者さんにわたあめを差し向けると、わたあめの割りばしを受け取ろうと体を前にしようとします。
ご家族の方がそれを支えてなんとか持つ格好にして、わたあめにパクリ。
こういう瞬間を写真に撮り、プレゼントをする。
その写真を病室に飾ると、その場に居合わせなかった人にもうれしさが伝わって、見ている人も笑顔になります。

「わたあめなんて子供の頃以来だった。おいしいもんだな~」と男性の患者さん。
「食事があんまり食べられなかったのに、かき氷が美味しくてつい全部食べられました」とご家族。

味や体験や楽しかったことが心に残り、写真を見てまた思い出し、そうして日々紡いでいく。
時にはそのことが薬よりも効果的だったりします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人のヨロコビが自分たちのヨロコビになるね。これこそが最高の報酬。

「音楽療法の可能性」講演会を聞きました

6月28日、音楽療法士でNPO法人「和・ハーモニー音楽療法研究会」代表の中山ヒサ子さんの講演会が院内で行われました。

20世紀初頭から医療分野では音楽療法のニーズがあり、戦争によってアメリカで急速に発達したことなど、歴史的背景の説明がありました。
日本ではようやく認知され出したところで、アメリカとの間にはすでに50年位の差があるそうです。
緩和ケアだけではなく、認知症・パーキンソン病・人工呼吸器装着の方にもストレスを軽減するエビデンス(根拠)が証明されているそうです。
透析中に音楽を聞いていると、透析時間が短く感じられるとか。
手術中に執刀医の好きな音楽が流れると、手術が順調に進むのは私が看護学生だったころから知られていました。
なんとなく、わかりますよね?

音楽療法というのは、患者さんが希望する音楽や歌を奏でて一方的に慰めるというものではなく、
対象者が自分で花を摘むのを支える、相互人間関係的プロセスだと中山先生はおっしゃいました。
中山先生が以前入院されて、ベッドから起き上がることもできないときには、音楽はなんの慰めにもならなかった、むしろ音が体に刺さる感じがしたそうです。どんなに柔らかい音ややさしい音色であっても、その人にとって受け入れられる状況になければ、すてきな音楽も害となりうる、だからその音が対象者にとって効果的かどうかを、表情やしぐさから読み取り、害になるとわかったら音は出さないのだそうです。

音楽療法も万能ではないのです。と中山さんはきっぱりとおっしゃいました。

そのお話を聞いて思い出したことがありました。
私は30代の後半に「うつ」になったことがありまして、約3か月くらい仕事を休んでいました。
休んで最初の頃は家族以外の人とはほとんど接触できず、日常の様々な音が癇に障り、特にテレビの音、女性の甲高い声が聞こえるととても不快な気持ちになりました。

2か月ほど経って、だいぶ元気になってきた頃、職場の人が私をコンサートに誘ってくれました。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という映画が少し前に流行っていて、私はこの映画の音楽と、出演していたバンドメンバーの個々のストーリーが好きでした。そのグループがキューバから札幌に来るというのです。


もう80歳代のメンバーもいるため、札幌で見られるのはこれが最後かも知れないということで、私もリハビリを兼ねて「じゃあ行ってみる」という気持で出かけたのですが、公演が始まったとき私は早くも来たことを後悔していました。
まさしく、音が体に刺さる、という感覚に近いものがありました。
刺激が強すぎたのです。
それでも、誘ってくれた人たちに申し訳ないなあという気持で最後までいたのですが、公演内容はほとんど記憶にありません。
せっかくなのに、もったいないことをしました。
でも、それは行ってみたからわかったことでもあるのです。
「まだあなたには早いよ」と体が教えてくれたんですね。そう感じ取れたということが大事な体験だったと今は思います。
好きな音楽でも残念ながらこういうことはある。
逆に、聞いたことのない音楽が癒しにつながる可能性もあるってことです。
何事もやってみないとわかりません。

中山さんのお話を聞いて、音楽やアートなど、患者さんの回復と癒しを支えるものを「ご自分で摘めるように支える」ことが大事だなと、学びました。これは今当院で取り組んでいる「あ・ぐり~んプロジェクト」にも言えることです。
押し付けではなく、あくまでご本人の気持ちがそこに動いたとき、きっと何かが生まれるのでしょう。
中山さん、すばらしい講演でした。ありがとうございました!

中山さん・音楽療法についてはこちら↓
http://wa-harmony.music.coocan.jp/

 

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
快か不快か?
伝えられない人の気持ちを察するための、五感を鍛えておかなきゃね。

 

命をいただく

起きて、食べて、出して、寝る。
身体をキレイにして、しゃべって、笑って、寝る。

毎日、こんな当たり前の日常が続くと私たちは思っている。
老病生死という4つの苦から人間は逃れられないとお釈迦様は言い、病院というところはいわばそのことを生業としている。

春先に種から植えた赤カブができて、給食のサラダにほんの数枚スライスして入っていた。
「これはこの前ここで採れた赤カブですよ」
「へええ、ほうかい。どおれ。(食べる)新鮮だねえ」

イチゴ畑からイチゴをもいで、水でばしゃばしゃっと洗って、その場でパクリ。
「どうお?甘い?」
コトバが出てこなくても、顔をみればそれがおいしいんだとわかる。

おいしくいただく。
育てた命をいただく。
食べたら、出す。
満足して、寝る。
当たり前すぎて忘れてるけど、自分で食べられるって幸せなことだな。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「あ・ぐり~んプロジェクト」は支えて下さる人がいて、成り立っています。
感謝です!

ケアする人をケアする

4月に入職された職員も早3ヵ月になろうとしています。
新しい職場では緊張もするし、今までとは違ったやり方に慣れる必要があるし、新たな人間関係も構築しなければならない。
4月5月はみなさん、気が張って疲れていたことでしょう。
そこで教育委員会のメンバーが、新しい人たちを慰労しようという目的で、茶話会を催しました。

ケーキとお茶を用意して、私は最初の挨拶だけで、あとは自室に引っ込みます。
だって部長がいると緊張させますからね。(というのも教育委員の意図です)

そこでいろんなとまどいや迷いを吐き出してもらって、先輩に支援してもらったり、同期の仲間がより親しくなったりするきっかけになればと思います。

それから今年はボランティア・コーディネーターで英国式リフレクソロジストの鈴木さんから、リフレ無料体験券をプレゼントされました。
鈴木さんのリフレクソロジーは私も受けたことがありますが、仕事が終わったあとに30分、寝台に横になって彼女のケアを受けていると、気持ちよくてついうっとり眠ってしまいそうになります。終わった後は足のむくみが取れ、軽くなったように感じました。

彼女のケアを受けてみて「あ、自分はこんなに疲れていたんだ」と認識する人もいますし、終わってすっきりした表情で帰宅していった人もいるそうです。
看護職の働く環境はまだまだ改善の余地たっぷり。
こうやってみんなの力を借りて、職員同士心と体を少しでもケアできたらいいな~と思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
看護者がhappyじゃないと患者さんもhappyにできないっしょ!(北海道弁)

昨日よりももっといいケアを~紙おむつテクニックを学ぶ~

医療と看護は日進月歩。数年前常識だと言われていたことが今は非常識になっていることが結構あります。
たとえば身体に傷があると、傷口を消毒していましたが、このごろは消毒よりも洗浄が大事だとされています。
寝たきりになるとできやすい褥瘡(=床ずれ)への対処法はこの30年の間に劇的に変わってきました。

私が新人看護師だったころの褥瘡処置は、赤外線ランプというライトで傷を乾かして、軟膏を塗ったガーゼを当てていたというと、今時のナースはびっくりするでしょうね。

さて新しい知識や技術は外で学んで来ることが多いのですが、私どもの病院では外から先生をお呼びして現場のケアをダイレクトに変化させていく、そんな取り組みもしています。
今月はおむつメーカーの方に病棟に来ていただき、紙おむつと尿取りパッドの当て方のテクニックを教わっています。
最近のおむつは機能性が高くなっており、その人の排尿状態や量に合わせて選択肢も増え、一回量が多い人とかゆるい便で漏れる状態を、ある程度うまくキャッチできるようになっています。
しかし私たち看護者は経験的におむつを「当てて」使っているので、おむつの選択や手技がその患者さんにフィットしていないケースがあるのです。

「この方は股関節が拘縮していて、どうしても体が右側に傾いてしまうので、右に漏れやすい」など、看護師や介護福祉士たちは患者さんの特徴をよくとらえています。
インストラクターが「そういう場合は尿取りパッドはこの大きさを選び、じゃばらを作って尿を吸収しやすくして、ギャザーはやさしく・・」という説明をみんな前のめりになって聴いています。普段使っている尿取りパッドが折り紙のように形を変え、ちょっとしたテクニックで最大の効果を引き出すことができると教わりました。

学んだことはすぐ実践できること。
今日から早速トライしてみて、うまく行くといいよね。
もれなかったら、シーツ交換の時間分、他のことできるしね。
患者さんも看護者も、笑顔になれたらいいよね。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
最近の看護基礎教育ではこのおむつの手技は教えているのかな?

自室から見える夕焼け

 

南青洲産野菜初収穫!

5月31日(水)の午後、「あ・ぐり~んプロジェクト」の3回目が行われました。
苗や種を植えるのも今回までで、あとは日々の手入れをしながら収穫を待つのみです。
4Fの「ふれあい空のガーデン」前には5名の患者さんとご家族、職員が集まりました。
プランターに植えたラディシュがちょうど食べごろになったので、集まっていただいた患者さんに一つずつ手で収穫していただきました。
雑作もなく簡単に抜くことができる方もいれば、手に力が入らない方もいますので、ご家族や職員が少しお手伝いして全部で10個ほど採れました。

ついでにプランターで育てているイチゴの受粉作業もしてもらい、普段とは違う患者さんの表情を知ることができました。


そして一通り終わったあとで、参加者のおひとりが
「今日は楽しかったですね。私、ここにきて良かったです。皆さんはどこのお部屋にいる方か、今日初めてお会いした方ばかりですので握手をしてください」とおっしゃって、近くにいる方に手を伸ばしました。
それを聴いて、別の患者さんも
「じゃあ私も握手してもらおう」とおっしゃって、和気あいあい、全員と握手をしあいました。

最初の方が
「じゃあ今日はこれでおしまい、またお会いしましょう」と言って拍手して、そこにいた方がみんな笑顔になり、拍手して終わりました。
なんともすばらしいクロージングです。
ひとつのイベントが大きく膨らんで、次回への期待と余韻が広がりました。
こんな風になることは予想もしておらず、皆さんが笑顔でお部屋に帰る姿を見て、仕掛け人の私は胸がアツくなったのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ラディッシュはもちろん、給食に出ましたよ!

Out of the box ! 外へ出でよ!たくさん学んでたくさん感じて、帰っておいで。

植物と関わるようになってから、思考が深まってきました。
当たり前のことですが、種から急に作物にはならないわけでして、芽が出るのをじいっと待つ時間が必要ですし、適した土壌、光、水、養分を与えて病害虫から守り、植物ごとにそれぞれ育ち方があるのだと教わっています。

同じ様な環境を与えていても、場所が変われば育ち方に差が出て、いったい何が違うのかと頭を悩ませます。
ただ風が強ければ風よけを工夫し、雨が降る前に肥料を土に混ぜ、トマトは脇芽をかく。
こうしたひと手間を加えて、きっと来週には大きくなっているはずだと信頼し、翌週背丈がぐんっと伸びていたりすると、声なき植物が期待に応えてくれたようで、かわいくてたまらないものですね。

いくつになっても興味のあることを学んで元気にのびのびと育ち、他者のために貢献できる。
仲間や上司と信頼関係で結ばれている。
強みが仕事の一部になっている。
これが私の目指す日本一幸せに働ける病院の姿です。

全ての人に公平に、必要なタイミングで水や肥料を差し出したいと思ってますが、自分の目利きがまだまだ不十分です。
ただ今年はひとり、またひとりと何人か外に出して知識の泉を浴び、他者と関わり、学ぶ喜びを感じてきてほしいと思っています。
きっとその体験が養分となって、ぐんっと背が伸びてくると思います。
そして留守を守る他のスタッフもまた、成長する機会を得ます。

「Out of the box」は私が研修で教わった言葉です。
その時はブレイン・ストーミングをしていたので、既成概念を打ち破り、自由な発想で何を言ってもいい、という意味合いで使われた言葉でした。

学びが刺激となって、海外に飛び出した人もおります。
それはその人の成長のプロセスですから、(職場としては悲しいけれども)とても喜ばしいことです。
何がきっかけになるかわかりません。誰と出会うかによっても変化しますし。
それを運命というか必然というか。
私がそういうチャンスをかつての上司からいただいたように、同じことをバトン渡ししていこうと思っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
その一歩を踏み出す勇気が大事ですね。

 

「人生フルーツ」、観てきました。

巷で評判の映画「人生フルーツ」をようやく、観てきました。
90歳と87歳のご夫婦の、スローライフのドキュメンタリーで、ナレーションは樹木希林さん。
これだけでもかなりそそられるのですが、観終わった後からずうっと考えに耽っております。
この映画は、いろんな切り口から誰かと話したくなる。
まるで自分がこのご夫婦の知り合いにでもなったみたいに。

ご夫婦は愛知県の昔開発された「ニュータウン」の一角に、住んでいます。
ご主人は過去住宅公団の建築家として、高度成長期に都市計画に携わっていました。自然と共生し、ところどころに雑木林を作って風の通り道のあるデザインにしたいと考えていたのに、経済性と効率優先で、無機質な団地群になってしまいました。
そのアンチテーゼとして、自分の関わったニュータウンの一角に土地を買い、平屋の家を建て、雑木林を育てながら長く住んでいるのです。

枯葉やコンポストで作ったたい肥を土に漉き込んで、野菜や果物を作る。
できた作物で手間をかけた食事を作る。
(土鍋のシチューや手作りおやつがなんておいしそうな!)
買い物は対面販売の店で、信頼してる人から買う。
お店の人に「美味しかった」とお礼の手紙を書く。
そこここにユーモアと、いたわりのコトバ。知恵と工夫。

こんな丁寧な暮らしぶりが続くのだけど、観ていて全然飽きることがありません。
とにかくお二人ともよく動き、よく働き、手も頭も使い、笑顔が絶えません。
まぶしいほどにお元気で、健康です。

経済性と合理性の渦の中に、私も長いことおりました。
人生も仕事も、本当に大事なことは何かな、と考えさせられます。
「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」という映画の中のコトバに、過去を深く恥じ入る私です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あんまり書くとネタバレになるので、興味をそそられたらぜひ観に行って下さいませ。
札幌はシアターキノで。

http://www.theaterkino.net/sakuhin.html

病院だけど、もっと普段の暮らしを取りいれたいのです

「あれは俺の植えた葉っぱか?」△△さんが、窓の外を指さしています。
ーはい、そうですよ。
「ちゃんと水、やってくれるんだろうな。それが大事なんだぞ」
ーはい、わかっております。ちゃんと毎日見に来て水やりしますから。

5月10日水曜日、4Fのサンルームでプランターに花や野菜の種を植えました。

屋上テラスには「ふれあい空のgarden」というすてきな名前がつきました。
病棟師長と車いすの患者さんが5人来てくれて、みんなでわいわいしながら一緒に土をいじりました。

バジルの種は風で飛んでしまうから、泥団子の中に種を入れて、プランターに埋め込みます。
「おにぎりみたいに丸めてね」とボランティアさんが言うと

□□さんが泥団子を口に入れそうになって慌ててみんなに止められました。
「おにぎり」という言葉がわかるってことです。


「あ・ぐり~んプロジェクト」はまさしくこんな光景を期待していました。
患者さんは病気を持っているけれども、24時間病人というわけではない。
むしろ退屈な日常を繰り返している人もたくさんいらっしゃる。

冒頭の方のように
「あれは俺の葉っぱだ」と言って、毎日見に行ったり。
ときどき一緒に水やりをして、成長具合を確認しに来たり。

採れた野菜を「旨いな」と食べていただきたい。

病院の中にももっと暮らしの生活感と主体性を。
家で暮らしてた頃のようなモノゴトを。

私どもの病院はケアに重点を置く病院なので
もっといろんなことに自由度があってもいいと思うのです。
患者さんも、看護師もね。

今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
早く音声でカルテ記録できるようにならないかなぁ!

 

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