札幌南青洲病院 看護部

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2017年9月

手放す勇気と快感と

個人的な話で恐縮ですが、この春から自宅の断捨離を始めています。
家一軒丸ごと、片づけてます。
休みの度に使っていないものを片づけては処分していますが、使ってないから=いらないとはいかないのが面倒なところでして、これを「執着」とか「愛着」というのでしょうね。
他人から見るとなんの価値もないものですが、私にとっては歴史に残る子供の作品(笑)だったりして。
「愛おしい」という気持は自分だけのもので、捨てがたいものです。

私の断捨離はこれからの、たぶん長くなるであろう、老年期を過ごすために今年やろうと決心しました。
ですから本当に必要なものを厳選して、少量だけ持つことを目標にしています。
今流行のミニマリストには到底なれそうにはありませんが、心意気だけは「起きて半畳、寝て一畳」のつもりで片づけています。

朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公、谷田部みね子ちゃんの住んでいるお部屋は、住み始めたころから見ると地味に家財道具が増えています。最初は布団一組と少量の着替えくらいしかなかったのが、折り畳み式のちゃぶ台や電気スタンドなどが置かれて、ちょっとした小物が増えてきています。演出のこだわりですね。
ただ持ち物スペースは質素で、実に掃除しやすそうです。

昔訪問看護をしていた時に、一人暮らしの高齢者が入院してご自宅に帰れなくなるのを機に、家財道具を処分する苦労を何度となく聞いていました。離れて暮らすご家族が、ときどき来ては片づける際に、「あ、それは捨てないで、大事な思い出なの」「あ、それは○○さんにいただいた大事なものなの」と言われてなかなか片付かないとか、喧嘩になったとか。
その気持ち、今はよくわかります。
だからこそ、元気なうちに自分で始末をつけたほうがいい。
捨てるか捨てないか、決めるのは自分でした方がいい。
離れて暮らすお子さんは、さりげなく「これもらっていい?」なんて聞いて持っていくといい。
そして自宅に持ってきてから処分すると角が立たないですね。
でもまあ、やたら時間がかかりますが。

私は自分で買い集めたかわいい食器を処分するのが結構きつかったです。
ぎりぎりまで迷って、自分では処分せず、業者さんに頼みました。
業者さんが無造作に食器を取り出し、麻袋にがしゃんがしゃんと放り込む音は、隣の部屋にいて聞かないようにしていました。
そんなにも愛着のあった食器でしたが、翌日はもう何とも思いませんでした。

ある意味、執着から解放されたのかも知れません。
逆に、それはちょっとした快感でした。

今日もこのブログに来て下さりありがとうございます。
ひとつ買ったら、ひとつ捨てる覚悟で。が理想だけど言うは易く行うは難し・・・。

これは取っておいて、いつか読み聞かせる予定。

SNSで誰でもできることを、地道に継続すると決めた!(下)

「ソーシャルメディア塾」に通ってわかったことは、ブログを書き、それをSNS(フェイスブックやツイッターなど)と連動させることで、自分の人柄や考え方を表現し、発信することの大事さです。

普段の仕事の様子、お客様(私の場合だと患者さん)に対するサービスについてや、単純に自分の好きなことなどを「誰かのために」発信して、それを継続することが大事だと何度も言われました。
ホームページを作って、ブログのスペースを作り、何回か書いてみて反応があんまりなくてやめてしまう人も多いそうです。
またFB(フェイスブック)も、自分が投稿するだけじゃなく、友達の投稿にも「イイね」をつけ、コメントを発信してくださいと細かい指示の宿題が出されました。
そしてこれらはそんなに簡単に効果は出ないから、3年は続ける気持ちでやってみましょうと言われました。

院長と事務長も協力的なのがありがたい♡

 

なので、私は自分のルールを決めたのです。
ブログを読んでもらいたいのは、未来に一緒に働く看護師さん。
FBは一日1回投稿する。
友達への「イイね」は出来る限りつける。
コメントは心を動かされたらすぐ書く。
ブログは週に1回投稿する。
それらを3年続けてどんな効果が生まれるか、実験しようと。
まずは信じて素直にやってみる。

[楽しいことを発信するのが楽しい]

で、もうすぐ始めてから1年です。
ブログのネタは病院の中にいくらでもあるんですが、文章表現が・・・公開してから後悔することも(あ、ダジャレに・・)。
とりあえず上手い・下手は置いといて(汗)、今は場数を稼ぐことに専念し、いずれ見えてくるものがあるだろうと思っています。
おかげさまで看護部ホームページは訪問者12522人、総閲覧数19051人(平成29年9月16日現在)となり、就職の面接では「ブログを読んでいます」と言っていただけることが増えてきました。
ありがたいことです。
ウレシイのは、ブログを読んでてくれる方と面接すると、私は初対面ですが相手の方は私のことをなんだかよく知ってて下さるので、院内を案内してても「ああ、これがあの飾り付けなんですか」とか「このトマトの話が大好きです」などと言っていただけることなのです。
つまり初対面であっても感性の部分で共感できる人が来てくれているので、私という人間の説明が省けるのです。
そういうとき、「ああ、途中で投げ出さずに続けてて良かったな」と思います。

[FBネタとしてはもう定番]

 

SNSで発信するって、お金もかからず誰でもできるんです。
でも顔や名前を出すことに抵抗があったり、何を書いていいのかわからなくて手を出すのが怖い、と思う人もたくさんいると思います。
大事なのは画面の向こうにいる誰かを喜ばそうとか、誰かのためになる、と思って発信することだと白藤さんは言います。
私もようやく最近そのことがわかってきました。

今日はあえて書きますが、私はこの戦略を3年続け、いわゆる紹介会社経由での看護師採用をせずに済んだなら、その分のお金を看護ケア用品や寝心地のいいマットレスや研修費に充てたいと思っています。
これを白藤さんは「誠実な下心」と言っていたような・・。違ったかな?

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
毎週一回元気に発信できるのは、現場のみんなが頑張ってるおかげです。ありがとお~~♬

SNSで誰でもできることを、地道に継続すると決めた!(上)

先日、久しぶりに「ソーシャルメディア塾」へ行ってきました。
平成28年6月から、6回コースで開かれたこの塾は、ITとSNSによって個人と仕事を発信し、つながりによってマーケティングを行うという目的で開かれました。
それまでSNSもホームページも「見てるだけ~」の中途半端だった私ですが、当院に1月から着任し、病院のホームページに看護部サイトを作りたいと手がけ始めたところでした。
私どもの病院は小規模ですから、はっきりいってあまりリクルートにお金はかけられません。
大規模な病院説明会への出店や、豪華なパンフレット・ノベルティグッズなどもちょっと・・いや対象者も違うし大病院とは違って一時に大量採用するわけではないのでね。

さて、じゃあどういう戦略でいこうか・・と考えていた時に 白藤沙織さんのことを知り、ブログやホームページを見て、ソーシャルメディア塾のことを知りました。
白藤さんは、「広告にお金をかけられない、中小企業の経営者にこれを学んでほしい」と書いていました。
http://www.websuccess.jp/jissenjyuku/

これを読んで、私は確信めいたものを感じました。
そして白藤さんのブログを過去に遡って読み、等身大で書かれた内容から、この人は(会ったことはないけど)信頼できる人だ、という風に思いました。数日後、私はホームページから塾の申し込みボタンをぽちっと押しました。

受講料はけして安い金額ではないし、病院から頼まれたわけでもないんですが、自分の中に「あ、これやってみたい。勇気と根気がいりそうだけど、試してみたい」という気持が湧いてきました。

そして入塾。
塾生は少人数で、ひとりひとりの仕事も背景も違います。講師の白藤さんと、スタッフの方たちがアットホームな感じで気さくに対応してくれて、緊張もほぐれました。
そのころすでに看護部のホームページを制作しかかっていたんですが、その時の発想は言って見ると「ありきたり」なホームページでした。いわゆるきれい目のモデルさんの写真を使ったもので、ちょっとよそよそしいというか、現実的じゃないというか。

白藤さんのアドバイスを受けて、私はモデルさんの写真をやめ、働く職員のイキイキした表情を載せることにしました。
できればひとりひとりのエピソードも載せたい・・今仕事を探している看護師さんに、ここで働きたいと思ってもらうためには、仲間になる人たちがどんなに親しみやすいかを表現したい。そう思うようになったのです。
それで一人一人の承諾を得て、写真を撮りエピソードを加えました。職場の写真も同じように、みんなのイキイキした顔が伝わるように。

11月にようやくホームページが完成し、さてそこからが私の本当のスタートとなりました。(つづく)

あるグリーフ(悲嘆)ケアの形〜遺志をつなぐ〜

家族を亡くす、ということは大きな喪失体験です。

悲しみや辛さはその人それぞれの喪失体験の積み重ねや、愛情、旅立つまでの間にどんな体験を共有したかによってもずいぶん違うものです。突然なのか、予期されたことなのか、生前の関わりに対する後悔の度合いが強いかどうか、旅立ちを受け止める時間があったか、故人との関係性がよかったかどうか、本音で語れたかどうか。
本当に、それぞれのストーリー(物語)があって、どれひとつとして同じものはありません。

大切な人を亡くした場所に再び足を踏み入れて、ボランティアをするということ。
以前のブログでも触れましたが、故人を取り巻くご家族やご友人が共に過ごし、語り合い、悲しみを共有しながらも旅立ちを受け入れてしっかり見送ることが出来た時、ひとつのグリーフ(悲嘆)ケアの形として、他者への支援をする行動につながるような気がします。

ボランティアの存在は、医療者でもなく家族でもなく、ちょうどいい距離感を持って、自分が一人の人であることを鏡のように思い出させてくれます。香り高いコーヒーを落としてくれて、病気であることをふと忘れてしまうような時間を作ること、音楽、対話などがどれだけ患者さんやご家族の力になっていることでしょうか。

ある患者さんがこうおっしゃって下さいました。
「私が元気になったら、ここの看護師さんたちを癒してあげるんだ」って。
それを何度となく聞いていたお身内の方が、ボランティアとして申し込んでくださって。
「自分にできることで、彼女の遺志をつなぎたい。きっと彼女自身がそうしたかったと思うから」とおっしゃって、8月から週に1回、職員のために若石式リフレクソロジーというマッサージをしに来て下さっています。
30分の足裏マッサージには、自分でも気づいていない体の不調に気づき、いたわり、ケアしてもらったという以上の効果があるようです。
マッサージをしてくれるボランティアさんのそばに、亡くなった患者さんのにっこり笑った姿が見えるようでした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ケアする人もケアされて、またいいケアができる。