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さる11月3日の文化の日に表題のセミナーが開催されました。場所は札幌徳洲会病院でした。

まず、ここに至るまでの経過と、当日の様子の報告をします。

当院は平成8年より徳洲会グループ入りをし、平成8年5月1日より『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』
になりました。最初の数年間も経営的には苦戦をし、関連病院である札幌徳洲会病院から医師の応援をもらい
ながら診療を行っていたようですが、ほぼ毎年のように院長が変わる状況でした。
そこで、平成13年4月に前野宏先生が新しい院長として赴任してきました。彼が行ったことは、徳洲会の理念
の「いのちだけは平等だ」と共に「ホスピスのこころ」を病院の理念に加え、運営を行ったことでした。
それまで、外科や脳外科などがあり、手術もやっていた急性期の病院だったのですが、内科と緩和ケアを
2つの柱として、経営をやっていきました。
その「ホスピスのこころ」を実現する象徴的存在として、平成15年11月に徳洲会グループ初の緩和ケア病棟
を開設しました。当初緩和ケア病棟を開設するにあたり、前野宏先生の熱意を受け入れてくれたのが、当時
徳洲会理事長であった徳田虎雄先生であり、多大な支援をもらいました。

当初、徳洲会グループにおいてはホスピス緩和ケアは関心はあったものの、実践する病院は当院以外には
ありませんでした。全国のグループ病院の方達が何人も見学に来られたり、新病院建設時には緩和ケア病棟
も開設したいという話があちこちから聞こえ、当院の病棟の図面やノウハウなどを教えても、緩和ケア病棟
開設にはつながらず、10年が経過していました。
しかしながら、その後の徳洲会グループにおいても救急医療だけでなく、がん医療も強力に推進する機運が
高まり、それに呼応するように緩和ケアも徐々に必要性が認識されていきました。そういう中で徐々にあち
こちの病院に緩和ケア病棟が開設されていき、自分たちの仲間が増えることにうれしさを感じていました。

何年か前から、前野先生が「そろそろ徳洲会グループでの緩和ケアの集まりをやりたいね。」という話が
持ち上がっていました。他の診療科では、心臓血管外科部会とか、脳神経外科部会や、また消化器グループ
の『Endo Club』なと魅力的な集まりが始まっていることがわかっていました。緩和ケアの集まりをやるに
しても、どこでどういう形がいいのかと模索していました。最初は、日本緩和医療学会や日本死の臨床研究会
などの年次大会に合わせて、徳洲会緩和ケア部会というものをやろうかということも考えましたが、場所や
また会うタイミングなどから、やはり学会期間は難しいなあと思っていました。
昨年、ちょうど札幌で第40回日本死の臨床研究会年次大会が開催され、前野宏先生が大会長で、当院が事務局
だったので、一瞬やってみようかと前野先生と話したのですが、あまりにもスケジュールがタイトなので
止めにしました。

そして、今年。春頃に前野宏先生から、「そろそろ徳洲会グループでの緩和ケアの集まりをやろう。」という
ことになりました。言い出しっぺは私たちですから、当院が事務局。場所は当院では狭すぎるので、札幌
徳洲会病院の部屋をお借りしようということで話が進みました。
前野宏先生が全体の構想を練り、全国の緩和ケア関係の先生方に講演の交渉を行い、あとは当院の事務スタッフ
がフォローするという形で始めました。
集まりの会の名称は徳洲会緩和ケア部会というのも何だし、『徳洲会緩和ケアセミナー』にしようという
ことになりました。
徳洲会は現在全国で71病院。緩和ケア病棟をもっている病院だけでなく、緩和ケアチームもあるので、
どれくらい参加者が集まってくるのか、まったくわかりませんでした。また当院が主催するという都合もあり、
11月3日という休日に開催することになり、全国から集まってきてもらえるのかという不安もありました。
しかし、実際案内状を徳洲会グループの各病院に送らせてもらうと、あちこちの病院からたくさんの参加
申し込みがありました。緩和ケアの集まりですから、もちろん多職種(医師、看護師、薬剤師、理学療法士、
ソーシャルワーカーなど)からの申し込みがあり、最終的には約55名もの参加者が集うことになり、開催側と
しても嬉しい悲鳴でした。

11月3日は朝10時30分から、札幌徳洲会病院の8階講堂カントコトロに全員が集合。当院からの参加者も
含めれば、80名物参加者があつまり、講堂はほぼ一杯になりました。前野宏先生の基調講演から
スタートし、当院のソーシャルワーカーの下倉さんによるMSWの働きについての講演。午後には、徳洲会
グループの各病院からの現状を話してもらいました。(全部で10病院)
前半は緩和ケア病棟をもっている病院、後半は緩和ケアチームが活動している病院。それぞれ、急性期の
治療を行いながら、患者さん・ご家族のために頑張っている様子がヒシヒシと感じられました。

その後、吹田徳洲会病院の馬場美華先生の生命予後のお話、千葉徳洲会病院の伊東理砂先生のスピリチュアル
ケアの実践のお話とためになる講演でした。

最後は、分科会に分かれ、医師、看護師、コ・メディカルと3グループに分けてそれぞれディスカッション
を行い交流を深めました。

閉会式では、前野宏先生がこういう会を徳洲会グループで開催することができ、また仲間との交流ができた
ことを感慨深く話しておりました。この会が今後も続いていくように話されていましたが、どうも来年も
札幌でやりそうです。\(^o^)/
札幌南青洲病院でこのような会を開催できたことも、大きなステップだっと思います。(色々な意味で)

懇親会は、アサヒビール園でジンギスカンを食べ、徳洲会グループでの緩和ケアの普及に頑張っていこう
と誓い合いました。

以上、第1回徳洲会緩和ケアセミナーの報告でした。

先週の土曜日、ホスピスの遺族会(ひだまりの会)が開催されました。今年で12回目を数えます。
今年のホスピスの遺族会は平成27年4月から平成29年3月までの2年間で当院のホスピスで亡くなられた
方のご遺族に対して開催しました。9月と10月の2回開催することで、できるだけ多くの方が参加して
いただけるようにしています。
今回の10月は2回目の遺族会で、参加者は5家族7名の方でした。例年の中では少ない参加者でしたが、
全員でテーブルを囲んで丸くなったような形になり、皆さんの顔が見え、また声も十分届く距離で
いい感じとなりました。
ひとり一人に想い出などを語ってもらい、短い時間があっという間過ぎました。

その中で印象に残った言葉が二つありました。

今日のキーワード:
「あんさん」
「お父さん、お見事!」

どちらもご遺族から聞いたお話です。まず1つめは、『あんさん』
当院ホスピスで亡くなられた高齢の男性のお話です。数年前に当院の近くに奥さんと引っ越してきた
そうです。どうも体の具合が悪かったようですが病院にはずっと行かなかったようです。それでもようやく
病院に行って検査を受けたところ、末期の癌とわかったようです。それで、転院手続きをして当院の
ホスピスに移ってきました。痩せてはいましたが、まだ頑張ることが出来たので、ホスピスでの催し
物に参加したりして楽しんでいました。しかし、徐々に状態は悪化し、衰弱していったようです。
いよいよ厳しい状況になったことが、スタッフから奥さんに伝えられ、道外在住の息子さん二人が
駆けつけました。元々口数の少ないお父さんだったようで、あまり辛いとは言わなかったようです。
駆けつけた長男がお見舞いの合間に食事に外出するためにホスピスの部屋から出ようとしたとき、
ご本人から『あんさん』という言葉が出たようです。出身が東北地方の方で『あんさん』というのは、
お兄ちゃんを意味しているそうです。その言葉を聞いた長男さんもビックリして食事に出かけるのを
止めたそうです。
奥さんからの話では、ご本人は息子さん二人に手を握られ、静かに旅立ったとのことです。こんな
最期を迎えられて幸せな夫はいませんとのことでした。

2つめは、『お父さん、お見事!』
この方も男性です。実は私の担当の患者さんでした。がんという病気がわかり、治療するかどうか
迷っているときに私と関わることがあり、治療はせずに緩和ケアを選択して最期までしっかり生きた
方でした。経過中にも色々なエピソードがあり、それも印象深かった方でしたが、ご家族もご本人
を支えていました。この男性と奥さんと長男家族が同居されており、娘さん二人は関東在住という
状況でした。関東在住の娘さん達は交替で両親のお世話に札幌に来ておりました。
徐々に病気が進んでいる中、がんがとうとう脳にまで転移していることがわかり、自宅での療養は
難しいと判断しホスピス病棟に入院しました。比較的穏やかな日々が続きましたが、確実に病状は
悪くなりました。ご家族から最後に自宅に外出させたいという希望があり、亡くなる2日前でしたが、
車で出かけてきました。かなり体に負担にはなったかもしれませんが、ご本人もご家族も家に帰れた
ことに非常に満足していました。
その日からはこちらからの問いかけやご家族の声はわかったようですが、ご本人はほとんど話せ
なくなりました。
そうしていよいよ最期の時が近づく中、妻と娘さん二人が両手を握りながら本人に声をかけていた
そうです。3人でご本人の両腕の橈骨動脈を触りながら、まだ脈があるとか、少し弱くなったとか
話していたとのこと。そして徐々に脈が遅くなっていったのが、娘さんにもわかったようです。
呼吸も弱くなり、脈の間隔が延びて、そして脈が止まったそうです。そうしたら長女さんが、
『お父さん、お見事!』と叫んだそうです。妻は悲しい気持ちより、その言葉に思わず圧倒された
そうです。苦しまず、安らかな最期を妻と娘さんと3人で共有できたことが良かったと言っていました。

一人ひとり違った最期の迎え方があり、そのドラマに一旦を見させていただいた時間でした。

以上、ホスピスの遺族会の報告でした。

皆さん、こんにちは。前回のブログに書いたように秋田で開催された第41回日本死の臨床研究会年次大会に
参加してきました。昨年の第40回大会はここ札幌で開催され、当院が事務局をやっていたため、大会期間中
はずっと裏方の仕事でした。
今回は、一人の参加者として、また事例検討の座長を頼まれたので、それ役割を全うするのが私の仕事でした。

今回の秋田への旅の前にでビックリしたことがありました。それは、大学時代の同級生が突然連絡してきた
ことでした。彼は現在、秋田市内に住んでいたのでした。
前回のブログに、「今週末は秋田で開催される日本死の臨床研究会年次大会に参加します」と書いたことが
きっかけでした。とっても久しぶりのブログだったのですが、大学時代の同級生はふとそのブログを見たそう
です。何度か札幌に来たこともあったようですが、わざわざ呼び出すのもどうかなと思いながら年月が過ぎて
いたようです。そこに秋田に来るという情報が入ったからにはこれは連絡しないと思ったようで、突然病院に
連絡が来ました。「・・・だけど、覚えている?」という電話でした。そりゃ、覚えていますよ。「なんで
電話してきたの?」という問いは、上記に書いたことだったようです。
早速秋田入りした日の夜に会いました。医学部卒業後、10数年。二人ともちょっと老けました。それでも、
なんか懐かしい感じでした。秋田の飲み屋街に連れて行ってもらい、二人でゆっくりとお酒を飲みました。
秋田の人は、まずビールで乾杯はしても、すぐに日本酒に切り替わるそうです。いくつかのお酒を飲み、
ちょっと二日酔いになってしまいました。

大会初日の午後に事例検討の座長をやりましたが、発表者の内容も良く、参加したフロアからも活発な意見
が出て、とても勉強になった事例検討でした。

2日間楽しんで、夜遅く札幌に帰ってきました。

今年の標記の大会は久留米で開催されました。昨年は10月に日本死の臨床研究会年次大会を札幌で開催し、
当院が事務局となったため、大会が終わるまではどこの学会にも行く気がしませんでした。

死の臨床研究会年次大会が無事終了してホッとしたところ、パンフレットで上記大会が2月に開催される
ことを知って、参加することにしました。
大会は2月4日、5日の二日間の開催で、大会長は二ノ坂クリニック院長の二ノ坂保喜先生。以前、札幌に
講演を来てくれた先生です。大会プログラムは盛りだくさんでした。

その中でもやはり注目はマギーズ東京の秋山正子さんのお話でした。ちょうど、2週間前東京出張に際して
見学したところでもあり、その秋山さんからまとまったお話を聞けたことはとても良かったでした。

秋山さんの講演会は、『白衣を脱いで町に出よう ~マギーズ東京のこころみ~』という題目でした。
秋山さん自身の簡単な自己紹介、自分がたどった歴史などをかいつまんでお話し、その想いがマギーズ東京
につながっていきました。実際、マギーズ東京が東京の豊洲に出来ることにも、色々なドラマがあった
とは思いますが、そのマギーズ東京でやっていることがこれからはとても大切なことではないかと思いました。

我々は医療者という資格を持っています。どんなに気持ちや態度で接する人と同じ視線を合わせたとしても、
それが病院という建物中であれば、患者さんや家族は言いたいことも我慢してしまうという事実。
診察中に雑談ができますか?という問い。患者さんは、診察の待ち時間が長くなり次の患者さんが待っていれば、
言いたいことを我慢してしまいますよね。

マギーズ東京を作って、色々な人に利用してもらっているが、そこで相談を受けるスタッフはもちろん専門職
(看護師や臨床心理士など)ではあるが、病院という器の中にないことがいい。何気ない話から始まる。
雑談、身の上話、気になることなど、相談しに来た人の話をそこにいるスタッフはじっと聞いてくれる。
何かアドバイスをしてくれるのではない。話すことで、相談者が自分から答えを見つけるのを手助けしている。

当院では、緩和ケア(ホスピスケア)を提供しているというが、本当にニーズに応えているのかなと考えて
しまった。がんの終末期には、もちろん色んな問題が出るのは確かだし、そこに専門職がタッグを組んでいくのも
大切ではある。しかし、本当に困っている人を我々は助けているだろうか。そんな疑問がわいてきてしまった。

今年はは2017年。あと数年もすると多死社会は確実にやってくる。そして、若者は減って、高齢者が増え、
2040年をピークに日本は確実に人口が減っていく。そういう中で、我々医療者だけで、すべてをまかなえるとは
思えない。再びみんなで助け合って行かない限り、生老病死は支えられないのではないかと少し不安も感じる大会
でした。

ひだまりの会(その2)

| ホスピス関連 |

先週の土曜日、今年2回目のひだまりの会(ホスピス病棟の遺族会)が開催されました。今回は、
11家族19名のご家族が参加していただけました。
今回のホスピスの遺族会は、平成26年4月から平成28年3月までの2年間で当院のホスピスで亡くなられた
方のご遺族に対して開催しています。前回の9月と今回の10月の2回開催することで、できるだけ多くの方が
来ていただけるように配慮しているのと同時に、たくさんのご家族がいらっしゃると我々スタッフとゆっくり
お話ができないことが過去にあったため、年に2回開催しています。

今回もいつもと同じように暖かい時間となりました。懐かしいご家族が久しぶりに病院に来られ、担当だった
スタッフ(看護師、ソーシャルワーカー、医師達)に会うだけで、言葉にできないものがあふれます。
遺族会の中では色々な立場の方達からお話を聞きますが、なかなか亡くなった患者さんのことを忘れることが
できず、この病院の近くに向かうのも勇気が必要だったけど、今回思い切って来てよかったと言われる方。
病院に向かう道を走っていると、入院していたときのことが思い出され、なんとも言えない懐かしい感じを
感じられた方。スタッフに感謝を伝えたくて、いらっしゃった方。

毎年開催していると、このような会(遺族会)をやっているなんて素晴らしいと言っていただけるご家族が
必ずいます。外国のホスピスの要件には、ご遺族に対するグリーフケアを提供することということが
必須条件になっています。当院のグリーフケアもこの遺族会だけでは十分とは思っていませんが、少しでも
役に立つのではと思って、毎年行っています。

今回の会も最後にご家族にメッセージカードを書いてもらい、「想い出の木」に貼りました。その内容は
ホスピスのひだまりブログを参照してください。

今回のひだまりの会も終わった後には、何か幸せな気持ちになりました。また、明日から頑張ろう。

ひだまりの会

| ホスピス関連 |

先週の土曜日、当院のホスピス病棟の遺族会である「ひだまりの会」が開催されました。
今年は、11回目を数えます。
このひだまりの会の目的は、残されたご家族(遺族)のグリーフケア(悲嘆のケア)です。
ホスピス病棟で最愛の人を亡くした後、残されたご家族は、今まで通りの日常生活を送って
いかなければなりません。当院のホスピスでは、難しい病気にある患者さんとそのご家族
に、残された時間を大切にするケアを提供していますが、患者さんが亡くなった後の遺族にも
ケアを提供するのが役目と思っております。
外国では、ホスピスケアの要件の一つに、きちんとしたグリーフケア(遺族ケア)が組み込
まれているかが、必要条件となっている国があります。そういうところでは、悲嘆が強い家族
には、かならず連絡を取り、必要な場合には適切な治療にも介入するようです。

当院のホスピス病棟も、グリーフケアの一環として、このひだまりの会を毎年開催しています。
毎年、少しずつ改善しながらやっています。当初は年1回の開催にしましたが、たままた都合が
悪くて参加できなかったご家族がいるということや、また1回に来られるご家族が多くなって、
十分なお話が聞けないことがあるということで、3年前からは年2回の開催にしました。

それぞれの思いを胸にひだまりの会に参加していただきました。中には、最愛の人を亡くして
から初めて病院に来る方もいらっしゃいます。亡くなった後、当院の近くを通るだけで涙が
出てしまうという方もいらっしゃいました。そういう辛さも抱えながら、ひだまりの会に参加
することは、実はグリーフケアの一段階を超えることができたという証の時もあります。

会の中では、今の気持ちなどを聞かせてもらうことが多いのですが、必ずと言っていいほど、
この病院で最期を迎えることができて良かったという言葉を頂きます。また、お世話になった
担当医やスタッフにもう一度お礼を言いたいと言って、いらっしゃるご家族もいます。
その感謝の言葉が、逆にスタッフの励みになっていることも事実です。ご家族のグリーフケア
と同時に病院のスタッフのモチベーションを上げる会になっているという面を感じています。

今回は、会の最後に参加されたご家族にメッセージカードを書いてもらい、「想い出の木」を
作りました。
その写真は、もう一つのブログであるホスピスの「ひだまりブログ」を見てください。

今年は10月にもう一度開催の予定となっています。
また、ご報告したいと思います。

仕事納め

| ホスピス関連, 病院関連  |

今日は、当院の仕事納めです。今年は1月1日の休日救急当番病院に始まり、
7月には移転予定地の土地取得、そして10月には念願の電子カルテ稼動と
走り続けた1年でした。途中、体調を崩してしまい、休んだこともありました
が、何とかやってこれました。これも病院職員が一緒に頑張ってくれたお陰
です。また、地域のみなさんが病院を信頼して利用して頂いたお陰でもあり
ます。
また来年から頑張りますのでよろしくお願いします。

みなさん、よいお年を!

北海道の青い空

| ホスピス関連 |

冬なのに雪が降りません。路面もすっかり出てしまい、車がビュンビュンと走って
います。
今日は快晴の一日。とても高い青空が見えました。お昼過ぎに院長室からパチリ。
とっても綺麗です。

20151214青い空

ドライフラワー

| ホスピス関連 |

電子カルテが稼動して2ヶ月が過ぎました。なんとか大きなトラブルもなく経過して います。1ヶ月目は、あれこれを色々問題が出て、みんなで解決すべきこともよくあった のですが、2ヶ月目に入るとトラブルも少なくなり、徐々にスムーズになってきました。 導入にあたり、7月から病院に常駐していた電子カルテのベンダーの方たちも、 先週いっぱいで全員帰って行きました。今後の問題点はメインテナンスをやる方と相談していくことになります。

それから、電子カルテ導入から運営まで色々とアドバイスなどをやってくれたTIS(徳洲会インフォメーション システム)の方たちも帰って行きました。 その1人の女性が最後にドライフラワーのプレゼントを置いていってくれました。 素敵な花なので、ホスピス病棟で飾っています。

青いバラがとっても綺麗です。

20151127ドライフラワー

今年の日本死の臨床研究会年次大会は岐阜で開催されました。今年の大会のテーマは
『自分らしく逝くために』

20151012死の臨床

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
今回は、予想を超える参加者が3000名以上集まり、会場が溢れかえっていました。
いくつか入ろうと思った会場が満杯で入れなかったものもあり、ちょっと残念でしたが、
たまたま入った会場が岐阜大学医学部の外科の教授である吉田和弘さんの講演でした。
題目は『私の死生観ー現代医学とスピリピュアリズムの融合』と少し仰々しい感じでした
が、中身は何とパラパラ漫画の鉄拳の「振り子」のことでした。
この「振り子」が昭和から平成へと時計が刻む家族の物語であると解説し、人生には
大事な5つのことがこのパラパラ漫画に込められていると話していました。それは、
1.恋愛
2.結婚
3.仕事
4.病気
5.死
であると。
自分も人生のそれぞれのステージで経験する色々なことが、その人の糧となり、そして
死へと続くということを共感した講演会でした。

翌日の昼に特別企画として”パラパラ漫画に込めた思い”という演題で、鉄拳のVTR
出演がありました。今回の大会長である西村さんと澤井さんが東京のよしもとの事務所まで
赴いて鉄拳にインタビューした内容でした。とっても素晴らしい内容で、岐阜の大会に
参加したビッグプレゼントと思いました。

来年は第40回大会で我ら札幌での大会です。当院は事務局として頑張らないといけません。
縁の下の力持ちとして大会を盛り上げたいと思っています。

2017年11月
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